広島地方裁判所呉支部 昭和45年(ワ)150号 判決 1972年10月31日
原告
窪田順子
被告
大東京火災海上保険株式会社
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求める裁判
(原告)
一 被告は原告に対し、金五〇〇万円およびこれに対する昭和四五年九月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
との判決ならびに仮執行の宣言
(被告)
主文第一、二項と同旨の判決
第二当事者の主張
(原告の請求原因)
一 訴外窪田準一は、昭和四四年七月被告との間で、窪田真二郎所有の自家用小型貨物自動車(広島四な四五―八七)について、被保険者を真二郎、保険期間を同年七月一八日から昭和四五年七月一八日までの一年間とする自賠法にもとづく自動車損害賠償責任保険契約を締結した。
二 真二郎は、昭和四五年二月二日午前一一時五分頃、右貨物自動車を運転して広島県安芸郡江田島町小用桟橋からフエリーボートに乗船しようとした際、海中に転落し、真二郎および同乗者である窪田江利子および峯崎アキエはまもなく同所で死亡した。
三 真二郎は、右貨物自動車の保有者として自賠法三条により右事故によつて第三者に与えた損害を賠償する責任がある。
四(一) 窪田江利子は、死亡当時二才であつて、一八才に達したときから就職するものとして就労可能年数は四五年(ホフマン係数は一六・〇六五)である。そして、昭和四三年度賃金構造基本統計調査報告による女子一八才の平均給与月額は二万四、六〇〇円であるから、その二分の一を生活費として控除すると、江利子の逸失利益は二三七万一、一九四円である。原告は、江利子の相続人として、右逸失利益の賠償請求権を取得した。
(二) 原告は、真二郎の妻であり、江利子は原告および真二郎夫婦の娘であるが、原告は一挙に夫と娘を亡くし、その精神的苦痛は甚大であつて、その慰藉料は四〇〇万円が相当である。
五 よつて、原告は、真二郎が原告に対して損害賠償責任を負担すべき金六三七万一、一九四円のうち法定限度内の金五〇〇万円およびこれに対する訴状送達の翌日である昭和四五年九月一〇日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
(請求原因に対する答弁)
第一ないし第三項の事実および第四項中、原告と真二郎および江利子の身分関係は認めるが、その余は否認する。
(抗弁)
一 原告と真二郎は夫婦であり、江利子はその娘であつて共同生活を営み、本件貨物自動車は、原告ら家族が共同に利用していたいわゆるフアミリーカーであるから、原告および江利子は加害者である真二郎とともに右貨物自動車の共同運行供用者であつて、自賠法三条にいわゆる「他人」に該当しない。
二(一) 真二郎が原告および江利子に対して損害賠償債務を負担するとしても、両者間の夫婦、親子という身分関係の基本である情誼、倫理観念に照らすと、右債務は自然債務というべきであり、仮にそうでないとしても、原告および江利子が真二郎に対して損害賠償責任を追及することは、信義則に違反し権利の濫用として許されないものである。
(二) 江利子の損害は逸失利益であつて現実の出費ではないから、親族関係の特質により、加害者である父に対してその賠償を請求することは許されないし、原告の慰藉料についても、夫である真二郎の加害行為による精神的苦痛は忍受すべきであるから慰藉料請求権は発生しない。
(三) このように加害者の損害賠償責任が否定される場合には、自賠法一六条一項による被害者の直接請求も許されないというべきである。
三 本件事故により、真二郎は昭和四五年二月二日午前一一時五〇分に死亡し、江利子は同日午後〇時二〇分に死亡した。したがつて、原告および江利子が本件事故による損害賠償債権を取得しうるとしても、賠償義務者である真二郎の死亡により、原告および江利子は、その妻子として真二郎の右債務を相続により承継したものであるから、右債権は混同により消滅したというべきであり、原告の直接請求は許されない。
(抗弁に対する答弁)
一 第一項の事実は、原告と真二郎、江利子の身分関係を除き否認する。
本件貨物自動車は、真二郎経営の呉服商の営業のために購入、使用されていたものであり、維持費も右営業の経費として支出されていたのであつて、真二郎のみが右自動車の運行支配および運行利益を有していたものである。
二 第二項の主張はすべて争う。
三 第三項の主張は争う。
債権債務が同一人に帰属しても、経済的に意味のある場合は例外的に債権の存続を認めるべきであるところ、被害者の加害者に対する損害賠償請求権と保険会社に対する直接請求権は別個独立のものとして併存し、保険会社が被害者に保険金を支払つても加害者から求償する関係にはないのであるから、原告の本件請求は経済的に無意味なものではない。また、自賠法一六条の「第三条の規定による保有者の損害賠償責任が発生した場合」とは、客観的、外形的に考察した結果によつて決すべきであつて、保有者(加害者)、被害者間の個人的事情を考慮すべきではない。本件において、混同による損害賠償請求権の消滅を認めないことが、交通事故による被害者救済の公的制度であり、社会保険的性格を有する自賠法の趣旨に合致するゆえんである。
第三証拠関係〔略〕
理由
一 請求原因第一ないし第三項の事実は当事者間に争いがない。
二 ところで、本件においては、原告(および被相続人江利子)の真二郎に対する損害賠償請求権の発生について争いのあるところであるが、仮にこれが認められるとしても、後記のとおり被告の混同の主張が肯認されるならば、原告の損害賠償請求権は全部消滅し、これに伴つて被告に対する直接請求権も否定される関係にあるのであるから、まずこの点について判断する。
原告が真二郎の妻であり、江利子が原告と真二郎夫婦の娘であることは当事者間に争いがなく、〔証拠略〕によると、本件事故により真二郎は昭和四五年二月二日午前一一時五〇分に溺死(窒息死)し、江利子は同日午後〇時二〇分に溺死(窒息死)したことが認められ、右認定を左右する証拠はない。そうすると、真二郎の死亡により、原告(三分の一)と江利子(三分の二)が共同相続し、次いで江利子の死亡により原告が単独相続することにより、真二郎の債務はすべて原告に承継帰属するのであるから、原告の主張する江利子の逸失利益相続分および原告自身の慰藉料のいずれについても損害賠償請求権は混同を生じて全部消滅したものといわなければならない。
原告は、本件の場合は混同によつて損害賠償請求権が消滅せず、保険会社に対する直接請求権を失わないものと解すべきであると主張する。しかしながら、自賠責保険制度は、加害者たる自動車保有者が被害者に対して賠償責任を負担したことにより蒙る損害を填補することを目的とする責任保険にほかならない。被害者に加害者に対する損害賠償請求権とは別個独立の権利として保険会社に対する直接請求権が認められていること(自賠法一六条)は、右の責任保険としての本質に何ら影響を及ぼすものではなく、右二つの権利は、損害の填補という共通の目的を実現するための法的手段に過ぎず、被害者の直接請求権は、被保険者(加害者)の損害賠償責任の成立を前提とし被保険者に対する賠償請求権に強い附従性を有する権利であつて、これのみが独立に発生する余地はないのであるから、その意味において、被害者の保護も賠償義務者とその賠償義務の存在を前提としてはじめてありうるものといわなければならない。そうだとすると、被保険者死亡の場合には、相続人が被保険者から相続により承継負担する損害賠償義務の存在を前提にしてはじめて被害者の保険会社に対する直接請求権が認められるものと解すべきであり、原告主張のように、直接請求権が認められていることを理由に、混同によつて損害賠償債権の消滅を生じない例外的場合にあたるということはできないし、また、自賠法一六条が、被保険者の被害者に対する債務負担(賠償義務者と賠償義務の存在)を離れて抽象的な損害填補請求権を規定したものと解する根拠もない。
三 以上の次第で、原告が本件事故により、真二郎に対して損害賠償請求権を取得するとしても、それはすべて混同により消滅すべきものであるから、右賠償請求権の存在を前提とする本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく失当である。
よつて、原告の請求を棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 島田禮介)